わが郷土が生んだ世界的物理学者、二戸市名誉市民田中舘愛橘博士の没後30数年が経過し、郷土の若い層を始め日本の人々からも忘れ去られようとしています。
日本の科学技術の進歩発展は目覚ましく、今や或る面ではアメリカをも凌駕し、世界のトップに立つに至っております。
しかし、かくなるまでには100年の歳月がかかっており、明治維新における先人に基礎づくりに捧げた情熱と苦労を忘れてはならないと思います。わが田中舘先生もその草創期の功労者として忘れられない方であると信じます。
今更申し上げるまでもなく、先生は東京帝国大学物理学科の最初の入学生であり、卒業後は助教授、教授として教鞭をとり、日本の物理学を推進すべき人材の育成に当ると同時に、自らは重力、地磁気、地震、火山、度量衡、航空学等において優れた業績を残され、その基礎を築かれました。
なお、先生の国際舞台での活躍は素晴らしく、明治31年から昭和10年までに20回外遊し68の国際会議に出席しております。国際度量衡中央局長ドームをして「地球には二つの衛星がある。一つは月であとの一つは田中舘博士だ。彼は毎年決まって東からやってくる」と賞嘆せしめたとのことです。
また、先生の業績の中で忘れてはならないものにローマ字運動があります。なすべき仕事が山ほどある中で、先生は終生ローマ字論を唱え続けました。第一次大戦後、国際連盟知的協力委員会において「世界平和は国際交流から生まれる。国際交流は言葉による。言葉はお互いに理解しやすいものでなければならない。その為にはまず世界の国語は総てローマ字書きにすべきだ」と主張し全員の了承をとりつけました。国内ではローマ字学会を作り、理学雑誌をローマ字書きにしたり色々の活動をしましたが、貴族院議員となってからは、毎議会ローマ字について質問し意見を述べ、それが貴族院の名物になったことは年配の方々はご存知のことです。先生のローマ字論は世界平和への道程としての偉大なる執念だったのです。
この度,輝かしいわが国繁栄の基礎作りに多大の貢献をなされた「田中舘愛橘博士」を思い起こし、その功績を讃え郷風の柱として仰ぎ、心のよりどころとすべく有志相計り、「田中舘愛橘会」を結成することに致しました。
何卒趣旨にご賛同いただいてご加入下さいますようお願い申し上げ、発起人の挨拶といたします。
〈発起人〉
丹野幸男 小保内敏夫 荒田政四郎 黒沢勇治 大滝治清