恩師・弟子・友人
田中舘博士は、国内、海外を問わず、実に多くの人と交流を持っていた。ここでは、ほんの一部ですが、博士とそれらの人々との関係や、エピソードなども紹介したいと思います。なお、略歴については、広辞苑や人名辞典などを参考にしました。これからもいろいろ調べ、順次紹介していきたいと思います。


国際連盟知的協力委員会と思われる。レントゲンなども居るはず。
名前 博士との関係 略歴・エピソードなど
山川健次郎 博士の恩師であり、父とも慕った人。物理学の面白さを気づかせた。愛橘に留学をすすめたり、様々な場面で協力を惜しまなかったという。 物理学者・教育家。会津の人。東大教授・九大総長・京大総長・枢密顧問官・東大総長を歴任。(1854〜1931)日本で初めて博士となった5人のうちの一人。15歳で白虎隊に入隊したが、会津一優秀で死なせるのは惜しいと、参戦を断られたという。
長岡半太郎 直接には山川の愛弟子だが、当時助教授だった愛橘の弟子でもある。年齢も近く、寄宿舎では同室だったこともある。地磁気測定などは愛橘と共に行った時代もある。やがて基礎的の域を出なかった当時の日本の物理学を発展させて行く重要な役割を果たす。 物理学者。長崎県生れ。阪大初代総長・学士院院長。土星型の原子模型を発表。光学と物理学に業績を残し、科学行政でも活躍。初の文化勲章を受賞。(1865〜1950)
寺田寅彦 直接には長岡半太郎の弟子。愛橘とはローマ字、航空研究所時代まで深い関わりがある。田丸卓郎と3人で音楽演奏を楽しんだこともあるという。著作にA先生とか老博士として愛橘が出てくる。 物理学者・文学者。東京生れの高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号。作「冬彦集」「藪柑子集」など。(1878〜1935)
木村栄 愛橘の弟子。死ぬまで交流があった。死の床で、なお研究の話をする木村のかすかな声に、愛橘は同じ床に入り、これを聞いたという。 天文学者。石川県生れ。水沢緯度観測所創設以来四二年間所長をつとめ、その間緯度変化に関する z 項(木村項)の発見を行い、万国緯度変化中央局長に就任。文化勲章。(1870〜1943)
本多光太郎 山川→愛橘→長岡に続いて物理学を発展させた。本多は愛橘と共に何度も二戸を訪れている。その交流は深かった。 金属物理学者。愛知県出身。独・仏・英国に留学。東北大教授・同大学金属材料研究所長・同大学総長。KS 鋼・新 KS 鋼を発明、合金・冶金・鉄鋼学界の権威者。文化勲章。(1870〜1954)
原敬 岩手県人であり、愛橘と同じ藩校に通った。愛橘が初めて留学の時はパリで牛鍋をつつきあい、大いに政治論を交したという。 政治家。盛岡生れ。外務次官・朝鮮公使を歴任。退官後大阪毎日新聞社長。のち逓相・内相を経て政友会総裁。一九一八年(大正七)平民宰相として最初の政党内閣を組織。東京駅南口で刺殺。著「原敬日記」。(1856〜1921)
新渡戸稲造 岩手県人。一高校長時代に、愛橘、プリウールらが作ったグライダーの飛行試験のために一高生徒に引かせ協力したという。 思想家・農学者。盛岡生れ。札幌農学校卒業後、アメリカ・ドイツに留学。京大教授・一高校長などを歴任。国際平和を主張し、国際連盟事務局次長・太平洋問題調査会理事長として活躍。カナダで病没。英文の「武士道」ほか「修養」「農業本論」などを著す。(1862〜1933)
山屋他人 岩手県人。皇太子妃雅子さまの曽祖父にあたる。軍用気球研究会など、黎明期から共に航空に関わった。
田丸卓郎 岩手県人。寺田寅彦は教え子。愛橘と共にローマ字研究を行ったり、航空研究所などでも一緒だった。
ユーイング 愛橘が物理を学んだ人。特に日本には地震が多いことに気づき、愛橘らと共に地震学を育てた人。日本の物理学に一つの方向を示したといえる。 James Alfred Ewing。イギリスの物理学者・工学者。御雇い外国人として、機械工学を教授。日本地震学会を創設。(1855〜1935)
メンデンホール 日本中の重力測定を愛橘らと共に行う。 Thomas Corwin Mendenhall。アメリカの物理学者。御雇い外国人として東京帝国大学で物理学を教え、富士山頂での重力測定、地球密度の測定、気象観測などを行う。(1841〜1924)
ケルヴィン 愛橘が留学し、学んだ恩師。物理学ばかりでなく、精神的にも多くのことを学ばせてくれたひと。愛橘たちが日本の物理学の方向を定める上でも、大きな影響を与えた人と思われます。 Lord Kelvin。イギリスの物理学者。本名、ウィリアム=トムソン。熱力学の第二法則を研究し、絶対温度目盛を導入。海底電信の敷設を指導し、多くの電気計器を作り、また航海術、潮汐その他の地球物理学の研究も多い。(1824〜1907)
キュリー婦人 国際連盟知的協力委員会に出席し、同委員だった愛橘と交流を持つ。ラジウムを日本に初めて愛橘が持ち込めたのも婦人との知己によるらしい。 (Marie Curie) フランスの物理学者・化学者。ポーランド生れ。夫はピエール。夫の死後、ラジウムの分離に成功。一九○三年、夫とともにノーベル物理学賞、一一年化学賞。(1867〜1934)
レントゲン 愛橘との交流は深く、やり取りした手紙なども残されている。 Wilhelm Konrad R_ntgen。ドイツの実験物理学者。一八九五年エックス線を発見。第一回ノーベル賞。レンチェン。(1845〜1923)
アインシュタイン 国際連盟知的協力委員会に出席し、同委員だった愛橘と交流を持つ。後年日本にやってきたが、その時東大で講義を行った。その控え室は教授を辞した愛橘の教授室があてられたのも因縁か。 Albert Einstein。理論物理学者。光量子説・ブラウン運動の理論・特殊相対性理論・一般相対性理論などの首唱者。ユダヤ系ドイツ人。ナチスに追われて渡米。プリンストン高等研究所にあって相対性理論の一般化を研究。また、世界政府を提唱。ノーベル賞。(1879〜1955)
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