二戸にある博士の歌碑など3

田中舘愛橘博士のお墓
田中舘愛橘博士のお墓は、二戸市福岡の勧善寺にある。市内をはしる旧国道の 五日町あたりに、小岩酒店というお店があるが、その脇の急坂の中程に墓地がある。

博士は昭和27年5月21日午後4時50分。東京で亡くなられた。(95歳)
その6日前に、中村清二博士が病気見舞いに訪れた。博士は大変喜んで、病床から手を のばして握手し、またいろいろな話をされたという。その時に学士院受賞者の坪井忠二博士の為に前日書かれたという色紙を読んで聞かせた。これが田中舘博士の最後の歌となった。
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千早ふる 神代ながらの 山と水
 花あり 春は
  月あり 秋は

(田中舘申一郎著「雲神」より)
田中舘博士のお墓は写真のように、斜面の墓地の中程にある。石段をゆっくり のぼると二匹の狛犬が博士のお墓を守っている。博士の墓碑の右には、博士の父の稲蔵の墓碑が並んでいる。

お墓の正面に立つと、朝日観音で知られる朝日山が見え、眼下に 二戸の町並みが広がる。そこからの眺望は朝に夕に美しい。博士はここから二戸の街を見守って下さっているのである。

余談になるが、この博士の墓のすぐ左には農民知事の国分謙吉の墓がある。こちらは狛犬ではなく、国分知事が自ら名付けた「国分シャー」であろうか、豚の石像とそして羊の石像とに守られている。
いかにも農民知事らしいお墓がある。
一方博士の墓の右後方には、「会舗社」を開いた、小保内定身の墓もある。二戸の偉大な3人の先人が、肩を並べるようにして、二戸町並みを見下ろしている。

田中舘愛橘博士のお墓は、右の写真のように、ローマ字でその名が刻まれている。日本式ローマ字の土台を築いた、博士らしいお墓である。
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