少年時代2

さあ、タイムマシンが着きました!。
 年代のメーターは1868年(明治元年)となっています。愛橘少年は12才。
 けれども何だかきびしい顔です。父稲蔵はこの所家にも帰らず、南部藩のために必死で働いていました。「維新が起こったのだ。」「幕府はほろび、侍は失業するのだ。」「南部藩は無くなるのだ。」町中に様々なうわさが流れて来ます。 
  

愛橘のいる南部藩(現在の岩手県など)や東北の多くの藩が協力して幕府を守るために戦ったのです。中でも会津藩(現在の福島県)ははげしく、「白虎隊(びゃっこたい)」と呼ばれた少年達までもが戦いで命を失いました。
 のちに「明治維新」といわれる新しい時代の波で、侍の時代は終わりを迎え、立派な侍になろうとした愛橘少年の運命をも変えて行くのです。

 戦争に敗れた南部の殿様は、白石に移され、家来の侍達はなんとか盛岡に殿様を帰してもらえるよう必死で働きました。
 この時、父稲蔵は、会補社の小保内定身(おぼない・さだみ)似鳥貫之助(にたどり・かんのすけ)の3人は、この戦争の責任を負わされ、謹慎を命じられた南部候の取りなしを訴えようとしていたのでした。
 もし訴えが聞き届けらぬときは、その場で切腹をする覚悟で、身支度を整えたのです。
 この話が当局に聞こえ、南部候の謹慎が免ぜられることになったのです。

けれども殿様を帰してもらうためには70万両ものお金を新政府に支払わなくてはなりません。侍達は家にある金目のものを全て売り払いお金に換えたのですが、それでも40万両ぐらいにしかならなかったのです。
 やがて殿様は盛岡に帰れることになりましたが、新政府に変わったことで多くの侍達には、大変な苦労が待っていました。

 ある日突然、父稲蔵が帰ってきました。そして、愛橘少年に言いました。「愛橘、お前は田中館家の後継ぎだ。もし父が帰らぬ時は田中館の家名を汚さぬよう頑張るのだ。」
 愛橘少年は、父はお国の為に死ぬ気なのだ。と思いました。
「はい。」真っ直ぐに父の目を見つめる愛橘を見て稲蔵は安心したのでしょう。
 一瞬笑みを浮かべ、「母や弟を頼む」と言うなり、刀を手に旅立ちました。
 愛橘少年は14才になり、再興した盛岡に出て和漢の勉強を修めます。このころはお米も不足し、大根を刻んで少ないお米と一緒に炊いたものを食べたりしました。
 明治4年「藩籍奉還」によって県になると、それまで学んでいた学問から突然「洋学」に変えられてしまいました。学友達は口々に「東京へ出たい」といいます。愛橘もそう思いました。
 
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