少年時代1

 さあ、タイムマシンが着きました!。
 年代のメーターは1861年(文久元年)となっています。場所は、陸奥国二戸郡福岡駅(むつのくに・にのへぐん・ふくおかえき)。
(この時代は街道沿いの町を駅と読んでいます。)現在の岩手県にのへ市です。
 ちょっと街道沿いに探検をしてみましょう。町の南側に大きなお城のあと。ここには、南部藩のお殿様が盛岡に移るまでお城があったのです。そして、今でも200人を超えるお侍がこの町を守っています。
 街道ぞいに家々がならんで、道路はきれいにはかれています。所々にはわき水が流れ、花が植えられている庭もあります。とてもせいけつな城下町で人々はつましく暮らしています。「ヒヒーン。」家の中から馬の鳴き声が聞こえます。この時代、馬は自動車であり、またトラクターでもありました。だから、馬はとても大切にされ、人間と同じ屋根の下に飼われています。
 大きなかやぶき屋根の家の中から元気な少年の声が聞こえます。おやおや、よく見るとちょんまげを結っています。
 縁側に座布団も敷かずきちんと正座して、お母さんが書いてくれる漢字を大声で読みながら、筆をとっています。
 あ、この5〜6才の少年がのちの愛橘博士です。お母さんの笑顔の前で、むずかしい漢字を必死な顔で書いています。

 やっと習字が終わったようです。愛橘少年はお母さんにきちんと手をついておじぎをしてから、にっこり笑うとどこかへ走って行ってしまいました。手には木刀を持っています。
 追いかけてみましょう。
 神社のけいだいで木刀をふっています。

 「49・50・51・・・」額は汗でびっしょりです。あれあれ、よろけてしまいました。
「愛橘、腰が入っておらん。」
 いつの間に来たのか、父稲蔵(いなぞう)が笑っています。「よく見ておけよ」そう言うなり、木刀うち下ろします。ビュン、ビュンと音をたて風を切っています。
愛橘少年は隣でくやしそうに見つめています。どうやら負けん気は人一倍ありそう。でも6才では無理もありません。
 

 愛橘少年は7才になると本格的に武道をならい始めました。こんどはその様子をのぞいてみましょう。あ、いました。大きな手桶に水を汲んで運んでいます。おや、武道の先生の下斗米軍七(しもとまいぐんしち)が、そうっと後ろから忍び寄ってきました。
 
「あっ!」愛橘少年は桶と共に転んでしまいました。軍七がいきなり後ろから背中を押したのです。「馬鹿者!。お前は何のために修行をしている!」突き飛ばしておきながら軍七先生は大きな声で愛橘を叱っています。

「いいか、いつでも百万の敵が目の前にいると思え!」。
 まったく乱暴な教え方ですが、これは「実用流」といって、どんと背中をつかれてもすぐに体を切り返して相手を倒すという、実践的な修行でした。
「はい!」愛橘は大きな声で答え、すぐに身をかまえました。「うむ。それを忘れるな。武士はいつ死んでも悔いの無いよう何事にも全力であたるのだ。修行を惜しむなよ。」先生の言葉に負けぬよう、愛橘少年は大きな声で答えました。
 「はい。愛橘はお国のために立派に死ねるよう修行にはげみます。」
 「よし、その意気じゃ!。」にっこりと軍七先生は笑顔をみせ、すぐに厳しい顔で言いました。「もう一度水を汲んでこい」「はい!」愛橘少年は桶を取って川まで駆け出しました。

 愛橘が7才の時、お母さんが亡くなってしまいました。悲しくて大きな声で泣いている愛橘少年に気付いた父稲蔵は言いました。「愛橘。お前は武士の子だ。武士が人前で泣くのは恥と思え。泣くな。」

「はい。泣きません。」愛橘は涙をぬぐうと、唇をかんでじっと悲しみをこらえました。

 けれどもどうしても涙が止まりません。
 とうとう愛橘はお母さんの生まれた家である、呑香神社まで走って行き、誰にも知られぬように境内のすみで思い切り泣きました。
 やがて愛橘は懐から笛を取り出すと、お母さんがよく歌ってくれたお神楽のはやしを吹きはじめました。
 愛橘はこうして悲しみを振り払い、それからは決して人前で涙を見せることはありませんでした。

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