日本で初の飛行場を選定
 日本に初めて出来た飛行場の場所は所沢である。

 「所沢航空発祥記念館」のページには、『1903年(明治36年)のライト兄弟の「フライヤー1号」による、世界最初の動力飛行の成功以降、欧米における航空技術は急速に実用化され始めた。
 わが国でもこの動きに刺激されて、航空技術を研究するための臨時軍用気球研究会が1909年(明治42年)7月に創設された。

 研究会の最初の事業は、飛行場用地を選定することであり、候補地として所沢、大田原、宇都宮付近、小田原、下志津原が選考の対象地となったが第一候補として所沢が推薦され、調査検討の結果正式に決定した。』
と紹介されている。この決定に大きく関わったのが愛橘博士である。

 愛橘の愛弟子である、中村清二著「田中舘愛橘先生」によると、「飛行場が必要だというわけで、その敷地を物色し始めた。極秘で長岡中将と井上仁郎大佐とが、どこかの会社員が地所を買いに歩くという偽装で、鳥打帽をかぶって探して歩く。

 田中舘先生は自転車で駆け回る。徳永少佐は宇都宮から小田原までの間を広く探して、水は如何か、近所の町の便利は如何かと慎重に考慮して、大体所沢と決定した。けれども尚慎重を期し、外国のものを参考することになった。」
 
 上の写真は、所沢飛行場に建てられた飛行機の為の気象観測所。(大正初期) 短期間で調査の必要があり、外国通の愛橘博士が、洋行し調査することになった。愛橘は当時の最先端の状況をつぶさに見て回り帰国、所沢に決定された。
所沢航空発祥記念館には、日本最初の国産軍用機である「会式一号機」のレプリカも展示されているそうです。以下の写真は、あらけんさんのページで紹介されていた写真を転載許可戴いたものです。感謝!。(サイズは縮小しました)
 
また、地元出身の熊谷さんからの情報によると、記念館の一番奥の部屋に愛橘博士の写真が飾ってあるそうです。残念ながら、この飛行場や記念館に行った事がないので、一度行きたいと思っています。 


「会式一号機」のレプリカ

所沢航空発祥記念館のページ

 あらけんさんのぺーじ

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