館と舘、どちらが正しいのだろう。

 田中愛橘、田中愛橘。どちらも、TANAKADATE AIKITUと読める。

 だが、一体どちらが正しいのだろうか。このページを作っていくうちに、私は途方に暮れた。というのも、入手した資料にも、館、舘それぞれがあったからだ。

 広辞苑や昔の人名辞典などは「館」が圧倒的に多い。また、東京大学時代の辞令などを見ても、「館」と記されているものもある。愛橘の弟子の中村清二が書き残した中に、「博士の家は洋風で立派だった。「田中館」という表札を見たある学生が勘違いして、下宿を申し込んだ」とあった。
 とすれば、やっぱり田中館なのだと私は思っていた。

 しかし、田中「舘」と記しているものもあるので、田中舘愛橘会に問い合わせた。説明では、「確かに、館、舘両方の表記が見られるが、戸籍を確認したら「舘」だったので、愛橘会では「舘」と表記している」との事だった。
 以後、そちらに従って、私は「田中舘」と記している。
(本ページでは、辞令の氏名や著作などの内容は、そのまま「館」も表記している。)

 とはいえ、古い資料ほど「館」なのである。天下の広辞苑第4版だって「館」である。実際、キーワード検索を「田中舘」とすると、あまりひっかからないが、「田中館」なら沢山出てくる。いくら私が「舘」が正しいと息巻いたところで、「館」が定着している事実は変わらない。

 どうも調べて行く内に、明治の頃の漢字は、あまりあてにならない事に気がついた。「音に合わせて、適当な漢字を使っている」場合が結構あるのだ。

 上記の中村清二の書いてある事が事実なら、愛橘博士自身も、ある時期「田中館」としていた事になる。自分の名前が適当というのは、随分おおらかな気もするが、当時は、それで困る事もなかったのだろう。博士がおおらかというより、時代がおおらかだったのか。考えてみれば、明治以前は、一般には文字を書ける人が限られていた時代でもあったろう。
 ちなみに、愛橘博士は安政3年(1856)の生まれである。 

 
 実は、表記の上でもう一つ悩んだ事があった。愛橘博士の父TO^ZO^である。
地元では彼を「稲蔵」と表記する場合が多く、地元の人々は、INAZO^と読んでいた。
 ところが、調べていく内に、愛橘自身が父のことをTO^ZO^と記していて、、「藤蔵」と記しているものもいくつかある事もわかった。やはり父はTO^ZO^が正しいのだろうが、少なくとも地元ではINAZO^でなければ通じない。
 私は、父名は「稲蔵」と記している。
 愛橘の祖先は武士で、ある時期、陸奥国浄法寺の田中という一帯を護っていて、後、田中舘を名乗ったという説がある。
 そのルーツは、武士の名門小笠原家まで遡るというが、これは愛橘自身眉唾と言っている。