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田中館愛橘、田中舘愛橘。どちらも、TANAKADATE AIKITUと読める。 しかし、田中「舘」と記しているものもあるので、田中舘愛橘会に問い合わせた。説明では、「確かに、館、舘両方の表記が見られるが、戸籍を確認したら「舘」だったので、愛橘会では「舘」と表記している」との事だった。 |
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実は、表記の上でもう一つ悩んだ事があった。愛橘博士の父TO^ZO^である。 地元では彼を「稲蔵」と表記する場合が多く、地元の人々は、INAZO^と読んでいた。 ところが、調べていく内に、愛橘自身が父のことをTO^ZO^と記していて、、「藤蔵」と記しているものもいくつかある事もわかった。やはり父はTO^ZO^が正しいのだろうが、少なくとも地元ではINAZO^でなければ通じない。 私は、父名は「稲蔵」と記している。 |
愛橘の祖先は武士で、ある時期、陸奥国浄法寺の田中という一帯を護っていて、後、田中舘を名乗ったという説がある。 そのルーツは、武士の名門小笠原家まで遡るというが、これは愛橘自身眉唾と言っている。 |