■事の起こり
博士に深く傾倒していた私は、1999年岩手県二戸市に田中舘愛橘記念館が完成する事で、きっと愛橘博士の事が再び多くの人たちに知られるぞと一人ほくそ笑んでいた。
そんな初夏のある日、劇団「二戸演劇協会」の打ち合わせがあった。どうやら記念館のオープンに向け何かイベントがあるらしい。劇団へも打診があったらしい。が、どうもはっきりしなかった。翌日役所に確認にした所、落成記念会と講演会を企画しているがその他のイベントは無いとの回答であった。

それなら夢だった「博士の事を演劇に出来るチャンスではないか」。私の夢は大きく膨らんだが、秋には演劇協会の定期公演があり、とても愛橘の公演を別にやることは無理に思われた。
それでも「どうしても記念館が出来るいまやらねば」と思った私は、思案のあげく、実現出来るかもしれない方法を考えた。「出来るだけ出番を少なく、とにかく役者を多くすれば個々の練習の負担は少ないはずだ。各シーンは独立した話にすれば良い。」

しかし、そうなると協会の仲間だけではとても足りない。私は地元の演劇仲間を個人的に当たり協力してもらえないかと走り回った。幸いなことに殆どの仲間は賛同してくれた。愛橘狂いの私に圧倒されてと言うわけではない。みんなは博士のことを舞台化することに意義を感じてくれたのだった。
私は喜び勇んで脚本を書きはじめ、あくまでも個人のプロデュースとして、あとは公演資金のめどを立てるだけにまでこぎ着けた。会館を予約し、公演日は9月23日に決めた。
これで愛橘が出来る!

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