■実現断念!その時。
やっと脚本を書き上げ、これから練習を始めようとした矢先の事であった。公演予定の9月に、一ヶ月継続する仕事が舞い込んだ。仕事である以上それを優先させる事は当然であり、演劇はあきらめざるを得なかった。泣く泣く仲間に舞台は断念すると伝えたところ、仲間達は言った。
「公演日をずらせば出来るじゃないか」「しかし、それなら演劇協会の定期公演はどうするんだ?」すると、館林会長は事も無げに言った。「愛橘を協会の定期公演にすればいい」

しかし、私の気は重かった。もともと個人的に舞台化しようとまとめた脚本であったことと、既に、他の4劇団の友人に声をかけまくり、それなりに了解を得ていたからだった。
・・・・このまま公演をやってしまえば、出演者の半分は演劇協会以外のメンバーになってしまう。結局私は「演劇協会の定期公演とは言えなくなってしまうからあきらめる」と断った。

何日か後に演劇仲間がやって来た。「あのね。会長は愛橘の舞台を二戸地区の5つの劇団が協力してやるのもすばらしい事だって言ってるよ。」「そりゃぁ、自分だって4年来の夢をあきらめたくはないけれど・・・。」
「中村は水くさい。何で遠慮するんだってこぼしてたよ。どうしても一緒に出来ないの?」
「水くさい?」「うん。」「本当に?」「嘘言ってどうするの。会長元気ないよ。」
「・・・・でも、劇団のみんなはどう思うんだろう?」「中村さんの夢はみんな知ってるし、会長がやるって言えばそれで決まり。いつもの事じゃない。」
「じゃあ、君ならどう思う?」「私よりも、みんなはもうやる気になってるよ。」「・・・・・。」
「夢なんでしょう?」「うん。やれるものならやりたい。」「そう言えば決まり。じゃぁみんなを集めるからね。」

結局私はみんなに言った。「愛橘をやりたい。今年は自分の思うとおりやらせて下さい。」こうして協会の定期公演として10月17日に正式に決まった。わざわざ会いに来たり、メールをくれたり、電話をしてくれる仲間達の思いやりが嬉しかった。

やがて練習は始まったが、仕事で演出が出来ない私に変わって、助演出の田村が頑張ってくれた。毎日のようにメールで状況を知らせてくれ、時に悩みを書いてくれた。自分のイメージを伝えたり、励ましたりで日々が過ぎていった。
メールで解釈を聞いてくる仲間。電話で練習の様子を教えてくれる仲間。わざわざ立ち寄って問題点を伝えてくれる仲間達がいた。手に取るようにみんなの姿が思い浮かんだ。
みんな頼もしい仲間達であった。

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