■公演絶望。 会長倒れる!

(写真は愛橘博士の墓前に公演の成功を祈る舘林会長.。決して会長のお葬式の写真ではありません!)

様々な問題を抱えながら、気がつけば本番まで一週間を切っていた。「なあに、これからが演劇協会の実力発揮だよ。」と口では強がっても、とっくに「協会単独の活動枠」を越えている部分も多かった。
しかもお互い仕事を抱えての、所詮は趣味の活動である。注げるエネルギーには限度があった。

そんな中でも一番大変だったのは、やはり会長の舘林であった。
老年期の愛橘博士を演じたのは伊勢であったが、実は本番わずか3日前に指名された会長の代役であった。
その証拠に、当日配られたパンフレットには、そこに会長舘林の名前が印刷されている。

元々会長は裏方の人間であり、舞台に立つ事はなかったが、「愛橘をやれるのは会長だけだ」と中村が必死で食い下がった。これを聞いて会長は言った。「中村の気持ちはわかる。何とかしてやりたいが、おれは役者じゃない。どうしてもと言うなら立ってるだけの役なら引き受ける。」
主役である愛橘のセリフが少ないはずはない、仲間の誰もがそう思い、中村を見つめた。彼は一瞬遠くを見つめ、それからゆっくりとたばこに火を付け、言った。
「セリフは3つだけ。それでやってください。」「セリフが3つ?」
すかさず仲間が言ってくれた、「これで決まり。良かったねぇ。中村さん!」反論の場を失った会長は大きくため息をつきつぶやいた「はめられたかな」。みんながどっと笑った。

こうして愛橘を演ずることになった会長であった。劇が次第に形になって来て、本番まであと4日という日の朝であった。中村に電話が入った。声の主は会長であったがどうも様子がおかしい。
「今病院だ。すまん。これから入院する。」すぐさま病院に駆けつけた中村は凍り付いた。

ベットの上に横たわる会長の顔は死人のように真っ白で、点滴の管が何本もくくりつけられていた。しばらく立ちつくしていた中村に気がついた会長は苦しそうに言った。
「大丈夫、本番には必ず行くから。くそぅ。あのヘボ医者め、即入院だなんて。」「・・・・・」
「あと何日だっけ?」「練習は3日。でも・・。」出られる筈が無いと言いかけて中村は言葉を止めた。「悔しいなぁ・・・・。」話す会長の唇も全く血の気が失せていた。

「夢なんだ。俺は子どもミュージカルやるのが。」ぽつりと会長が言った。
「うん。だから早く良くなって。こんどはきっとミュージカルをやろう。」「お前の夢は愛橘だ。だから俺は絶対出てやりたいんだ。」

それからまるでうわごとのように繰り返し言った。「・・・・悔しいなぁ。あと3日なのに」

病院を後にして中村は途方に暮れた。愛橘は誰がやる?。照明は?舞台監督は?。
どう考えても会長の存在は大きすぎた。・・・・公演は絶望だろうか。しかし、今更止めるわけには行かない。
主なメンバーに連絡を取り、無理を承知で公演の幕を開けたいと伝えた。誰もが一様に驚き、そして言った。「何とかなるよ。やろうよみんなで。会長の分も。」
そうだ、やるしかない。ここまでやって来たんだ。出来る所まででいいのだから。

その夜の練習前に中村は笑顔でみんなに言った。「今朝会長が死んだよ。」どっと笑いがもれた。それから急に厳しい顔になった。「だからみんなでやるしか無くなった。」
事情を知らないメンバーは怪訝そうな顔をしたが、今朝からの出来事を詳しく聞いて、さすがにみんな押し黙った。
ややあって、宮さんが言った。「照明は何とかなる。裏方も俺達が頑張る。だが愛橘は誰がやる?青年期役の健ちゃんがそのまま老年期をやるのか?」全員が中村を見つめた。
「いや。どうしても博士の風体にも拘りたいんだ。それに、老年の博士は髭も頭も真っ白だ。メイクだって時間的に無理だろう。」

再び沈黙が訪れた。何本目かのたばこに火を付けながら中村は言った。「似てるのは伊勢だけだ。」メンバー全員が伊勢を探るように見つめ応答を待った。
突然指名された彼は黙ってうつむいたままだった。「だから伊勢に決めた」有無を言わせないとでも言うように、大きな声で中村は言った。伊勢は顔を上げ、ゆっくりとメンバーの顔を見回して、それからあきらめたように言った。「はい。」

「では、今すぐ練習だ。この際だ、他の人は自分で仕上げるように。」伊勢の決心が変わらぬ内にとでも言うように、中村は叫んだ「はい、13場行きます!」
みんなが不安げに見守る中で、伊勢はひょうひょうとした演技を行った。いくらこれまでの練習を見ていたとはいえ、信じられないほど違和感なく愛橘になりきっている。次第にみんなの顔が明るくなっていった。そして場が終わったとたん拍手が起こった。

「嘘だろ。今までどこで練習してたんだ」「会長より上手いんじゃないか」一様に安堵の表情であった。「よし、これならいける。みんなもそう思うだろ?」中村が聞いた。
すると誰かが答えた。「さすが中村さん。これを見越してセリフを3つにしてたんだべ!」
どっと笑い声が広がった。

皮肉なことに会長が倒れたことで、みんながますますひとつにまとまった。本番まではあと3日しか無い日の出来事であった。



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