愛橘博士は国内、海外を問わず旅行をしているが、もちろんその殆どは仕事や研究の為である。愛弟子小野澄之助の「田中館愛橘博士」に、ある旅の事が紹介されていた。 ここで忘れてならないことは、この記録が昭和5年(1930)博士75歳の時ということだ。もちろん現代のように移動が簡単な時代ではない。 |
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日程(始) | 日程(終) | 行き先・内容 |
5月19日 | 東京発・シベリア経由で欧州へ | |
6月 2日 | 9日 | スイス、ジュネーブ・国際連盟協会総会出席、即日パリへ |
6月10日 | 20日 | フランス、パリ・国際飛行協会連盟総会 |
6月20日 | フランス、パリよりルーマニア、ブカレストまで飛行機で。午前4時ルブルジェーの飛行場より出発。(この時歌った歌) | |
6月21日 | ブカレストよりトルコ、コンスタンチノープルへ | |
6月24日 | コンスタンチノープル出発、翌日アンカラ着 | |
6月25日 | アンカラにてトルコの文部省ローマ字委員会と会談。高等師範訪問。翌夜アンカラ出発 | |
6月26日 | 30日 | アンカラからコンスタンチノープルまで。コンスタンチノープルから飛行機でベルグラード通過、パリまで。 |
7月 6日 | 14日 | ジュネーブ・国際連盟知的協力委員会特別委員会 |
7月14日 | ジュネーブ出発、英国ロンドンへ | |
7月15日 | 21日 | ロンドン・国際議員会議 |
7月23日 | 31日 | ジュネーブ・国際連盟知的協力委員会総会。 |
7月31日 | ジュネーブよりルガノへ | |
8月 3日 | ルガノ発ミュンヘンへ。(ゾンマーヘルド氏訪問) | |
8月 5日 | ミュンヘン発ベルリンへ | |
8月 9日 | ベルリン発翌日ストックホルムに | |
8月10日 | 24日 | ストックホルム・地球物理学会 |
8月25日 | 26日 | ストックホルム発・レニングラード着 |
8月26日 | 29日 | レニングラード・学士院に於いて極地観測50周年記念特別準備委員会 |
8月29日 | 31日 | レニングラード発、オランダ、ヘーグに |
9月 1日 | 6日 | ヘーグ・国際航空会議 |
9月 7日 | ヘーグ発、パリ着 | |
9月10日 | パリ発ベルリンに | |
9月10日 | 16日 | ベルリン・ドイツ地球物理学会に出席 |
9月14日 | ニーメック磁力研究所訪問 | |
9月15日 |
デッサオのユンケル氏飛行機製作所見学(ユンカースか?) この時アンハルタル停車場で汽車の出発間際に最終車に馳せつく。 |
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9月16日 | ベルリン発・帰国の途につく。門司着後直ちに福岡へ。次に大阪、京都及び名古屋のローマ字会に出席 | |
10月5日 | 帰京 | |
どうだろうか。これが75歳の老人(?)がこなしたスケジュールだ。ちょっと体調でも崩そうものならどうなってしまうったろうかと思わず心配になってしまう。にもかかわらず、「国際会議中の先生をホテルに訪問すると、いつもパチパチとタイプライターを打って、報告や提案書を整理していた」と小野は書いている。まさに休む間も無しなのだ。 ところが、それにも関わらず愛橘は旅行が愉快で楽しいものだといっていたという。 しかも、博士は60歳の時骨折して依頼、左足が3センチ短く、びっこであったというのだから、作者がスーパーじっちゃん愛橘と言いたくなるのもわかってもらえると思う。 |
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