第一幕 第八場 (鹿鳴館・踊りと歌のみ)愛橘伴奏(鹿鳴館は明治16年京麹町山下町にオープン) |
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(子供達全員が男女ペア(役)にわかれ正装している。豪華なホールの感じ。正面奥に愛橘、寺田、田丸、らが登場。ピン。) |
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寺田 |
れでーあんぜんとるまん。それでは本日の鹿鳴館舞踏祭のすぺしあぷろぐらむであります。かのえんぐらんどは、ぐらすごうに留学をされた帝国大学教授、田中舘愛橘博士の、本場仕込みの歌をご披露もうしあげます。伴奏と合唱は私寺田と田丸博士が、あいつとめまする。それではお耳を拝借。 |
愛橘 |
{音楽10}♪にいわあのつぃぐさも むぅしいのねもー・・・。(できれば調子外れで!) |
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寺田 |
本邦初公開の舘先生の美声。いかがでありましょうや。美しき乙女の胸をうち振るわせたに相違なきものと信じ、我々の歌を終わります。ありがとうございました。 |
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(全員拍手。照明と共に音楽が始まり、輪になり華やかな踊りが始まる。曲の終わりと共に幕降りる。) |
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、「明治17年6月、鹿鳴館にて西洋舞踏練習始まる」とあるのは、よくこの事情を物語っている。若い娘たちのいやがるをだましたり、しかったり、お国のためだと言ってダンスのけいこに追い出した。音楽会はわたし(愛橘博士)も東大の仲間と一緒に出て歌った。調子も拍子もまるでしろうとを乗り越して、すっぱずれるのをよくまあ、公使や領事の婦人令嬢たちが吹き出さずに聞いていたと今思い出しても冷や汗が出る。と、愛橘博士は「TOKI WA UTURU」の中に書き残している。
また、愛橘博士は恩師メンデンホールなどの影響で、西洋音楽もたしなみ、フルートを吹いた。時には田丸卓郎や、寺田寅彦のバイオリンなどと競演もしたという。 |
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