ミュージカル「Aikitu」脚本

第二幕 第十三場(コンマ25)愛橘A{愛橘六十才}(教授の辞任・大正5年)伴奏音楽11 爽快
 
(舞台中央に金屏風と演題、その左に愛橘座っている。演題には藤沢教授が居る)
 
ユートン うわぁ。なんだこのピカピカは!。いったい何があるんだ。何々、田中舘愛橘博士在職二十五年祝賀会。
ミーネ 静かに
ユートン えーと、大正五年東京上野小石川植物園か。
ミーネ この時田中舘博士は六十歳。つまり還暦のお祝い会でもあるのです。
ユートン え。還暦のお祝いに三百人以上も集まったの?
 
藤沢 エー。そう言うわけでありまして、舘さんの失敗談をご披露すれば、二日、三日では足りませんから、只今は控えますが、ここにご列席の皆様は私がご披露するまでもなく、舘さんの失敗の四つや五つはすぐに思い出されることでしょう。(愛橘笑っている)
それでは、上手く行った話はないかと申しますと、・・まあ、一つや二つはございます。まず、舘さんはトンボ取りの名人だった。舘さんはトンボの前にじっとして、ただ手を伸ばせばもう手の中にトンボがいるという、誠に不思議な特技がございました。博士はトンボ取りの博士号もお持ちであります。
(群集の笑い声、愛橘子供のように笑っている)
  さて、舘先生は「求めよ、さらば与えられん」の信念を、身を持って学生に示しました。「あれが無い、これが無いと言うな」といつでもそう言って、目的を達して見せてくれました。舘先生のますますのご発展をお祈り申し上げ、こんご一層物理学会をお導き戴きますようお願い申しあげ、ご祝辞といたします。
(藤沢愛橘に敬礼し椅子にもどる、愛橘おもむろに演題へ向かう)
伴奏音楽13 雲神(愛橘のテーマ)
愛橘 (にこにこと笑みをたたえ)「諸君!(しばし感慨で無言、涙をハンカチで拭いた後)私は、これを二十五年コンマゼロの記念会として謹んでお受けいたします。    
 明治二十四年、初めて教授になって以来、何等学会に貢献もせずに今日を迎えた私に、このような盛大な祝賀式は身に余る光栄で感謝の言葉もありません。私は六十才になりましたが、こんただ年寄りが教授の席にあって、万一皆さんの期待にお応えができなくていけません。
 私のような浅学の者が大学教授の席を汚して居られたのは、ただ日本に学者が少なかったという時代のせいです。だども今では立派な学者が大勢うまれました。年寄りが若い人に変わってもらうのは当然であると考えました。それで、今日ここへ来る前に辞表を山川総長に提出致しました。
今夜は私にとっては名残惜しきお別れの記念会であります。どうか私の願いを容れて辞職をお許し下さい。」
藤沢 (ピン・驚いて立ち上がり)えっ。なんだと!舘先生が辞職だと!。あまりに突然で、我々は耳を疑いました。我々は即座に辞職反対の決議をし、舘先生の辞職をお引止めしたのです。
いいえ。たった一人賛成した者がおりました。彼曰く、舘先生は一度決めたことを軽々しく止めるような人ではない。我々がいくらお引き留めしようとも、舘先生はこうと決めたら一歩もかない。たとえ殺されてもやり抜くお方です、と。
まさに舘先生はそういうお方なのです。我々は泣く泣く先生の辞職を認めざるを得ませんでした。
しかし、まだまだ先生には活躍してもらわねばならない。誠に惜しい。それにしても惜しい!。
 
元気  そうだ年寄りはさっさとやめちゃえ。
ミーネ こらぁ。当時は死ぬまで教授だったの。しかも東大の教授。社会的地位も給料もすごい。
それを博士はあっさり辞めたのよ。誰にでも出来ることではないわ。
幸子 あれ、定年退職とかしないの。
ミーネ 当時はね。でも東大では、この博士の辞職がきっかけで、六十歳定年が慣例化されたの。
恵美 それじゃ東大の退職制度の産みの親なのね。
ミーネ 博士はねこう言ってるわ。「天才と言われるような人は三十歳までに立派な結果を出している。学問には若い優秀な頭脳が必要である。学問は急速に進歩している。年寄りがこれを妨げてはならない。」と。
修斗 まあ、六十の爺さんじゃぁね。さっさと引退してもらったほうが・・。
ミーネ 修斗君!!これからなのよ。田中舘博士の本当の活躍は。
元気 これから?何がこれからなの?
修斗  えー。だって六十だよ。もうよぼよぼだろうに、なんてしぶとい爺さんなんだ!。
ミーネ 私怒るわよ!博士は九十六才(95歳7ヶ月)まで生きたの。おもしろいのはこれからなの!。

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