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インカムに向かって中村は叫んだ「本番15分前。みなさんよろしくお願いします。」「照明OKです」「舞台袖キャスト入りました」「ブタカン(舞台監督)さんよろしく」「頑張りましょう!」「音響さん?音響さん?」「聞こえてますよ〜」どんな時も変わらない中ちゃんの声。言外に落ち着けよと言ってるようだ。 ここから先はインカムの声だけが頼りだ。そして、音楽の先生達も位置に着いた。「10分前。アナウンス入ります。」「5分前。1ベル願います。」「では本ベル入ります。」 |
ここで演奏するはずの音楽もきっかけを失い、舞台は暗転のまま先に進めなくなった。「どうしたんだ?ブタカンさん!」「テントの足がひもに絡んで開けないようです。今応援も出しました」「わかった。頑張ってください。連絡待ちます。」中村の額には汗が噴き出し、祈るような面もちで真っ暗な舞台を見つめていた。だが、一向に連絡は入らない。 |
やがて舞台は、愛橘と妻キヨ子との死別のシーンへと移った。妻キヨ子は結婚一年後に娘美稲を産んだが、そのわずか10日後に亡くなっている。前半の山場である重要なシーンだが、そこには大きな心配が2つ伴っていた。 実は大人の美稲役である吉田が、「この場面にはどうしても本物の赤ちゃんを出したい」と決心し、本番の3ヶ月も前に出産間近の知人に了解を取り付けていたのだった。 舞台に照明が入った。一瞬にしてキヨ子は瀕死の演技に入り、側に寄り添う愛橘の切なさが広がっていった。二人の鬼気迫る永訣の会話にみな息を飲んだ。赤ちゃんはまるで母の死の悲しみがわかるとでも言うように、じっとしていた。 |