意外なことに、我が二戸市にあっても愛橘博士の事を良く知っている人は多くなかった。 しかし調べれば調べるほど愛橘博士は大変な業績を残した人だったから、とても私ごときの力の及ぶところではなく、二度とこのような舞台は実現できないと思った。 悩んだあげく、どうせ一度きりならば出来るだけ博士の一生を(演劇上の嘘はあるにせよ)出来るだけきちんと綴るべきだと考えた。何とか書き上げた脚本は、時代背景や当時の研究の意味までも伝えようと意気込んだ事が災いし、理屈っぽいものになってしまったようだ。2時間に及ぶ舞台をご覧になったお客様はさぞかし大変だったろうと今更ながら冷や汗がでる。 しかしその一方で、ある小学校の先生から「今まで良くわからなかった田中舘博士の事がすんなりと理解できました。これで子ども達にちゃんと教えてやれます。」という感想を戴けたことは望外の幸せであった。 それにしても、今回の舞台を「演劇」と呼ぶのはかなり苦しかったかもしれない。 |
シーン | テーマ |
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第1場 | プロローグ | 昭和27年福岡町(二戸市)で博士の盛大なお葬式が行われた。参列者は3000人。当時の町の人口は7000人であった。 |
第2場 | 少年時代(サムライの涙) | 愛橘が生涯で最も悲しかったのは7歳で母を亡くした事であった。愛橘は武士の子として厳しい修行に励んだ |
第3場 | 青年時代(文明開化) | 12歳の時明治維新が起こる。侍の時代は終わる。愛橘は16歳の時東京に出て新たな学問の時代に立ち向かう。 |
第4場 | 大学生時代(進路) | 官吏となるか物理学を選ぶか愛橘は苦悩するが父稲蔵に励まされ物理学者への道を選ぶ |
第5場 | 助教授時代(父の死) | 突然の父の死。愛橘はわずか5日で駆けつける。(当時は12、3日の旅程) |
第6場 | 留学・教授時代 | 教授時代のエピソード。 |
第7場 | 根尾谷 | 濃尾大地震を調査した愛橘は根尾谷断層を発見し、世界に紹介する。 |
第8場 | 永訣(妻の死) | 妻キヨ子は結婚後わずか一年で娘を残して旅立つ。 |
第9場 | 空へ(風筒) | これからは飛行機の時代だと我が国で初めての風洞実験を行う。 |
第10場 | 飛翔(初飛行) | 日本で初めてグライダーが飛んだ陰に愛橘の力があった。 |
第11場 | 25年コンマゼロ | 60歳を迎え自ら教授職に別れを告げる。 |
第12場 | ローマ字の夢 | 愛橘は生涯日本式ローマ字普及の夢を燃やし続けた。 |
第13場 | ふるさと |
古希のお祝いが故郷福岡で盛大に行われた。 しくじり博士のエピソードと共に紹介。 |
第14場 | エピローグ | 父愛橘への思い出を美稲が語る。 |