日本式ローマ字の出始め2
田中館愛橘博士が死ぬまでその普及に努めた「日本式ローマ字」。それがどんな風にして広められて行ったのか。黎明期の頃の様子が、博士が著した「TOKI WA UTURU」(時は移る)の中に書かれてある。ほぼ原文のママ紹介しよう。(下線は編者による)

ことばの付け離し

 綴り方は、寺尾の日本式で一通りかたがつく、が、付け離しは拾い読みを通り越して、ひとまとめに形で読むには、綴り方以上大切なところがある。

 ヘボン式では、書き方の第17条で「助詞は離して書くべし」ときめて、sara ni,sude ni,to moのように切り離すから、「これは外国人が日本人のまねをするのを日本人がまねする発音式だろう」とひやかした。

 とkろが、これと反対に、ga no ni o等の「てにをは」はすべて名詞につけて書くべきだという仲間があって、なかなか聞かない。これらを納得させるように、一通りきまりをつけようと思い、先輩の考えをざっと調べてみようと、図書室で「ことばのやちまた」から「玉の緒」「ひもかがみ」・・・・・守部の「助辞本義」等を読んだが、なかには飛んだ愚論もあったのに驚いた。

 もっとも頭をなやましたのは、no と niであった。no は「玉の緒」で24種類に分けてあるが、守部はこれを評して、「博識をてらうに過ぎない、4通りでよい」と「助辞本義一覧」で言い、「短歌撰格」で「木の枝の のは体属、木の机の のは光彩だ」と説いてあったので、前は独立の関係詞で、後は形容詞の語尾と感づいて、それから付け離しに急にあかりがさしてきた。

 また「ひもかがみ」のかかりむすびなど、言葉の順序をかえるだけと気付き、名詞、広くいって、体言(動かぬことば)は、いよいよ独立のことばとして、てにをは から離すべきであり、これにてにをは を付けて用言になる。と大筋をきめ、こまかなことはそれぞれの場合、言いまわしの実際に鑑みて、わかりよいよう書くことととし、簡単な例をあげて、用法意見として決議案の説明につけた。

 実はこれだけのことをきめるに図書室などで調べたのは無駄仕事であった。ことばそれ自身の働き方をとくと考えれば、誰にでもわかるはずだ。

 だが、田丸文法を見れば、なかなか一ぺんやにへん読んだのではわからないと言うのはローマ字文を書く者一般の意見である。これが世界の言語学会に響いたのはもっともである。(253頁を見い。)

 「用法意見」につづいて、「発音考」を書き、国語の発音と他国語の発音とのちがいをあきらかにしようと試みた。これは生理、物理、心理の方面から、ともかく6通りに分けて論じたが、なかに本居の「あわや三行弁」はよく考えたものと感じ、これをひとつのサイクルに書き直して、UIの子音への移りぎわを説いた。三角形書いた図表よりはよくわかるから、Phonctique Japan につけて、第4回言語学会(1936)へ送った。

 発音の言葉における変化、音便は、口の動きに精神の働きをもふくめて、力学の最小作用(leaist action)で動くと見れば、ほがらかな明かりがさしてくる。(もちろん、最小はただひとつだけでないことを忘れてはならない。)

 上の二つの論文は「理学協会雑誌」に出したが、なお、その抜き刷りをとって、ローマ字関係の人々に送ってあらかじめこれに対する意見を聞いた。

 返事は西 周を始め、西村茂樹、杉 亨二、その他大体賛成の意味であった。土方Yは「あまり勉強して病気してはいけないから気晴らしに出よう」と言って、人力を持ってきたのに乗せられて、岡山兼吉を誘い出し、芝浦の海水浴へ行って、海をながめて飲みながら、ローマ字論法律論ごったまぜに賑わしてくつろいだ。

 

 土方でまだ忘れられないことは、上の抜き刷りを送るとき金が足りなくなって相談したら、高利貸しを紹介しようと言って30円の證書に證人になって金貸しへ行って借りたが、手数料だの利息の前払いだのと言って差し引かれ25,6円しか手に入らなかったのに驚いた。

これは生まれて始めての高利借りだった。終わりと思ったがこれからさきどうなるかわからない。  


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