日本式ローマ字の出始め3
田中館愛橘博士が死ぬまでその普及に努めた「日本式ローマ字」。それがどんな風にして広められて行ったのか。黎明期の頃の様子が、博士が著した「TOKI WA UTURU」(時は移る)の中に書かれてある。ほぼ原文のママ紹介しよう。(下線は編者による)

 虎ノ門の総会

 ローマ字会の総会が近づいたので、動議の説明を誰にさせようか相談したが、棚橋とわたしの2人別々に書いて読んでみることになり、まず棚橋が読み、次にわたしが読んだら、それを読めときまった。これは容易ならん。総会に出てくる多くの先輩その他の会員を納得させなければならない。

 原稿を書いて東大の池の岸へ行って大きな声で、あげ下げ、弱め強めに気をつけて繰り返して読んでみた。会の幹部は、前の日会員に葉書をやって、出て来て動議に反対するようにすすめた。集まった者およそ1200人と書いてある。

 その中には伊藤総理、井上外務の大臣等、イギリス、オランダ、オーストリヤ等の公使もあった。

 議長に鳩山和夫を選み、矢田部良吉は会の幹事として創立の経緯を報告し、そのおもな仕事は書き方をきめることであったと、書き方の表をかけて説明し、「Di という音は日本語にない。Di と Ji の区別できない者は耳のない人間だ」と動議にかみついた。

 私は動議の説明に立って、まず書き方委員の骨折りを感謝し、ついで、すべて新しい事のし始めには、何事でも全部そなわっているものはないと説き、本会のローマ字書き方の国語の発音にそわないこと、また文法を顧みなかったことを論じ、委員を選んで調べ直す必要をのべた。途中拍手があった。

 それから、坂倉銀之助の文字と国民性の長演説あって、採択した。議長は「動議に賛成2、反対3の比例と認める。異議あれば数えて見る」と宣告して議案は片づいた。

 採決のとき、山川K、寺尾H、岩谷R等の書き方委員だった者に一時会場の外へ出て決にはいらなかったのがあったことをあとで寺尾に聞いた。終わりに伊藤総理、井上外務、ブランケト英国公使の祝詞の賛成演説があった。

 会がすんで、私は九段の上まできたら、神田乃武(かんだ・ないぶ)が、人力で追っかけてきて、「さっきの原稿をくれ給え。ブリンクレーがおしい(欲しい?)と言う」と言うから、それを手渡した。ジャパン・メールに殆ど言葉通りの英訳が出た。昭和になって、それは英語学者の頭本元貞(ずもと・げんてい)が言いつけられて訳したと直接に聞いた。

 

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