会報第50号(2012年7月発行)
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田中舘愛機会会報(平成24年7月15日発行-第50号(4)


8.教授時代の健康

 その後東京にきて一橋の外国語学校に入ったが、まあ苦学生というものだろう。三田の聖坂から歩いて通った。夜明けに起きて冷や飯を食い、それから歩き出すのだ。後に、神田や九段の安下宿に移り、明治9年開成学校に入学してから寄宿舎生活をした。入学した当初落第しては大変と思い、むやみに勉強した。ところが大試験の結果を見るとA組の1番になっていた。が、このせいか身体具合が悪くなっていた。肺病になってはならないと思い肝油を飲んだ。

というよりも、食事のときに汁やお菜にいれて食べた。匂いは良くないが、鼻の感じを少しおさえて昧わってみればなかなかよろしい。これを2年くらい続けた。土方寧博士は、私が丈夫になったのは肝油のせいだと云われたが、どうだかはわからない。だから、これは人には薦めない。胃の弱い人が腹下りでもしてはいけないからー。

この頃の学生は随分暴食をしたものだ。「芳韮庵」という汁粉屋で、12ヶ月汁粉をみな平らげたことがあった。
 また、この頃は旅行も随分とした。夏休みは必ず旅行にいった。国へ帰るにも150里の道を歩いて行き来したし、重力測定に富士山に登ったり札幌に行ったりした。富士山には前後4回登った卒業してからも学生と共に、研究で方々歩き回ったものだ。

 その後英独の留学から帰って教授になってから講義に苦しみ、それが幾分贋れたかと思うと学生が増える。それなのに予算も教室の設備も増えない。その上、色々の委員会などいいつかって忙しくてならない。生意気に研究もしたい、論文も書きたい。しかし、考えてみると、自分の能力が足りなくて忙しいのだと悲観したりして、ついに神経衰弱になってしまった。浜辺を歩いたり、水を漕いだり、山登りをなどして治したが、こんな鈍物が今時教授になっているべきではないと感じて、60の還暦をきっかけにお許しを願った。

その年の暮れ、自転車で転んで左大腿部を折って3センチ程短くなった。幾分不自由だが歩行も座りも出来る。
 その後も国際的な学会にも色々関係して数回欧米に行ったが、忙しいときは時々食事を抜かしたり、徹夜したりしたことも少なくなかった。


               9.今こそはわが時

 最後に日常の心得方について一言-。「今こそは一番良いときだ。なぜなら、それだけがわが時だから」という諺がある。過ぎ去った昔はいかによかったと言え、時は川の流れ同様逆戻りをしない。また未来は実際来てみなければ解らず、いたずらに狸の皮算用をしてもかえって狸に笑われる。この大切な未来を良くも悪くもするのは、今握っている、 わが現在の図鑑の使いようである。「ああこうすればよかった、ああすればよかった」と思う時はもう過去になっていて、逆戻りしない。

 しからば、いかにして未来の方針を決めるかと言えば、過去の経験にかんがみてやるほか無い。「古きを尋ねて新しきを知る」のである。その尋ねかたも日本国内だけではなく、広く世界にわたって尋ね、わが現在にくらべてかんがみなければならない。

 ※巻末に次のような付記がある。
  「拙談拙著をお取り上げ下され、お恥ずかしい限りである。願わくは拙著『時は移る』その他についてくわしくお読みの上お叱り下されば感謝の至りです」

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