会報第50号(2012年7月発行)
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田中舘愛機会会報(平成24年7月15日発行-第50号(5)

「50年後の夢」の夢

※会報48号の「あとがき」欄に、余りにも異常現象が続いて…という感想みたいなものを少々長く書いた記憶がありますが、この度「手記」としてまとめましたので厚かましくも載せてみます。(事務局佐藤)
 ふざけたような標題になったが、「 」の中の「夢」は田中舘愛橘博士(安政3年一昭和27年)が昭和25年頃にエッセイとして書き残した冊子の標題であり、400字原稿用紙で3枚チョットのものである。その大意は、19世紀末からの世界の科学技術の進歩発達が著しいことを実例を上げてざっと振り返りながら、結びとして次のように述べておられる(とどのつまりは、このことを訴えたかったのだろうとわたしは信じている)

 「今多くの国民が、同じ人間達を敵として戦うために沢山のな費用をかけて軍備に励んでいる。これらを差し控えて、自然の敵なる地震、風雨の大嵐や津波などに向かって戦いを挑み、これらを征服したらどんなに世界が楽になることだろう!シナの孔子ぱ已に克ちてネLに復る’と仁の道を説いた。 20世紀の人間たちもまだお若いかな?」(原文のまま)

 その次の夢は、おこがましくも、私が或る晩にみた夢のことで、概略次の様なもの。2010年(平成22年、昭和85年)9月8日の晩に国連の内部組織として「異常気象特別研究委員会」を設置し、世界の第1級の科学者を動員して研究し、その災害を幾らかでも軽減することになったというニュースが流れた、私にすれば誠に次元の高い夢で、ゾクゾクするほど嬉しい限りーと思った途端に目が覚めてガックリ。でも、夢って素晴らしい贈り物だと、そのムードに浸っていたくて暫くは起きたくなかった。
 この夢のキッカケになったのは、多分私胸中にあった次の3点だろうと思われる。
  (1)昭和の初期、国際連盟(今の国連)の中に、文化的研究活動により世界平和をーという目的で(知的協力委員会)」を設置して競技させた経緯がある。委員には、アインシュタイン博士、キューリー夫人、田中舘博士を初め当時の第1級の方々12、3名が名を連ね、昭和8年頃まで続いた。
  (2)毎年定期的にやってくる台風やそっれに伴う災害・水害等について昨年も今年も会報で取り上げたことが根強く私の脳裏に残っていたのでは?
  (3)夢を見た日の昼間、偶然「50年後の夢」の冊子を読み直していたこと。
 博士が亡くなってもう50年になろうとしているが、博士の「夢」はまだ全然かなえられていないと思う。異常気象のもたらす自然災害については、人類はなすすべを知らず、ただ後始末に明け暮れる状態ではなかろうか。せめて台風の進行方向・強さ・降雨量等については、科学の力で探知したり、コントロールしたり出来たら、被害も最小限に食い止めることがー。博士の言われるように、軍備に費やす資金の何パーセントかでも科学(異常気象)研究に投じたら人類のためのかなりの成果が期待できるのではーと素人なるが故に、単純にそう思ってしまう。
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